カテゴリー「音楽」の記事

2018.05.19

TOTO "TURN BACK"

GWに風邪をひいてからというもの、治りかけとぶり返しを繰り返しています。どうやら収束に向かっていますが、いまだ咳が出るのが困ったものです。昨日のオフィスでの仕事には電車を避け、社用車で向かったのですが、オフィスに入った途端咳が止まらなくなってしまいました。乾燥しているのでしょうね。
 
今日は家で体を休ませています。ここ数日何故かリピートしている初期のTOTOがお供です。17歳の時に初めて買った彼らのLPは、当時の最新作だったFahrenheitでした。以降遡って1stからの全作をアナログですぐに揃えたものです。翌年に新作のThe Seventh Oneが出て、そのワールドツアーを武道館で観ることが出来ました。ジェフ・ポーカロのドラムがとにかく凄くて!1階スタンドからでもその熱演はよく分かりましたし、今でも脳裏に焼きついています。
 
彼らの中でも最もシンプルなロックに徹したと言える3rdアルバム、Turn Back。国内盤のDSDリマスターCDと英Rock Candyの24bitリマスターCDとを所有していますが、明らかに前者に軍配が上がります。昔聴いていたアナログの音、音圧が見事に再現されていると思います。
 
それにしても、昔から思うのですが、このアルバムのドラム、どうしてここまで中域と低域を押し出しているのでしょうか。過剰なんです。ドスドスと大砲のような音なんですよね。今ではすっかり慣れましたけど、初めて聴いた時にはホントに驚かされました。ジェフの肝入りでこうなったのでしょうか。色々なサイトを見て回りましたが、このドラムの音の秘密に触れたものはありませんでした。ご存知の方、こっそり教えてくださいな。
 
高校時代に所有していたLPは国内盤だったのですが、解説に「(タイトル曲の)Turn BackはLED ZEPPELINを彷彿とさせる」というような記述があり、特にこの曲がお気に入りだった僕はすぐにツェッペリンの1stアルバムを買いに走り、それが以降のクラシックロック探訪の旅の始まりとなったのでした。今思うと、あの解説者が書いていたツェッペリンとは後期、カシミール辺りを指していたのでしょう。ZEPPの1stはTurn Backの印象とは全く違うものでしたが、別の意味で凄くて!初聴はスピーカーの前で正座したままを余儀なくされました。音楽を聴いて金縛りにあったような経験なんて、あの時くらいのものかもしれません。
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2018.02.10

REO SPEEDWAGON "R.E.O./T.W.O."

1月28日に父の納骨を済ませました。直後にTVで「お墓探しも大変な昨今」といった特集を見る機会があり、「先に買っておいてもらって良かった」とホッとするやら苦笑いするやら、でした。何だか生きにくい世の中になってきているようです。

さて、12月の初旬にU2の新譜がドロップされて以来、2ヵ月以上ほとんどそれしか聴いていないほどのめり込んでいるのですが、ここに来て久しぶりに、何故かREO(念のため、アールイーオー、とアルファベット読みです)SPEEDWAGONの2ndアルバムを間に挟むことが多くなりました。U2とは直接何の関係もないのですが。

1972年リリース、タイトルは"R.E.O./T.W.O."で何の工夫もありません(笑)。当時の彼らは現在のREOではなく、R.E.O.と名乗っており、そこに合わせて2ndなのでT.W.O.と点を打ったのではないでしょうか。このアルバムからヴォーカル兼リズムギターとして現在でもバンドの看板であるケヴィン・クローニンが参加、リードギタリストのゲイリー・リチラースと作曲を分け合い、Music Man、Like You Do、Golden Countryという名曲が収録されることとなりました。これだけで彼らの初期を代表する傑作と言えるのですが、一般的に彼らの最高作が1980年リリースの"HI INFIDELITY"とされている(これには僕も異論はありません)のに対して、個人的には「このセカンドこそが最高作なのかも」と思うようになりました。

ケヴィンのヴォーカルには後年のような「伸び」や「透き通ったハイトーン」「力強さ」はまだありませんが(それまでシンガーソングライターとしてフォークシーンで活動してきた人ですから、初めてロックバンドで歌うことに相当の苦労があったことでしょう)、その分、不器用なシャウトが微笑ましく感じられます。代わりにゲイリーのリードギターとニール・ドーティのハモンドオルガンがバンドのインタープレイをグイグイと引っ張ります。きっと当時のライヴステージをそのままレコード化しようとしたのでしょう。重心が低く手数の多いグレッグ・フィルビン(1977年に脱退)のベース、合わせてアラン・グラッツァー(1989年に脱退)のドラムも後年の作品にはない手数の多さで興奮させられます。

今思うと、ステレオの1サイドにアコースティックギターのリズム、もう1サイドにエレクトリックギターのディスト―ションサウンドのリズムを入れるというアイディアは、ひょっとしたらこのアルバムが最初なのではないでしょうか。少なくともアメリカン・ハードロックの原型がここにあるのだと思います。ナッシュビルでレコーディングされたせいか、彼らの他の作品にはない土臭さが感じられるのも良いです。当時は全く売れず、一介のアメリカ中西部のバンドとしてしか見られていなかったスピードワゴン。この後地道なツアーとレコーディング活動を続け(ケヴィンは73年に一度脱退、76年に復帰します)、9年後"HI INFIDELITY"で遂に天下を取るのですが、そこでのサウンド・曲作りは彼らなりにソフィスティケイトされたものであり(批判しているのではありません)、このセカンドのような持ち味は薄れていると言わざるを得ません。

曲作りにもリズムギターにも長けたヴォーカリストが加入し、バンドの士気がさらに高まった初期衝動が叩き込まれた、と言えるのかもしれません。僕にとっては何とも愛おしい作品なのです。2011年に日本だけで発売された紙ジャケDSDリマスターCDの中身を1990年頃に出た米盤CDのプラケースに入れて、いつでもすぐに聴けるようにしています。リマスター効果は素晴らしいです。Golden Countryを聴くと(泥沼化していたベトナム戦争へのアンチテーゼとして書かれたそうです)、当時と何も変わっていない今の世界を感じてしまいます。RIP、ゲイリー(1989年脱退、2015年没)。

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2017.12.16

父の死と、U2 "SONGS OF EXPERIENCE"

父が12月3日の深夜に急逝しました。12月4日の午前0時過ぎに母からの電話で叩き起こされ、嫁さんと共に車で実家に急行。入浴中に心不全を起こしたことが原因でした。

昨秋に倒れて入院、約3ヶ月で退院してからは、実家でリハビリをしながら杖をついて歩けるまでに回復したのですが、かねてから心臓に若干の疾患があり、投薬治療を続けていました。すでに普通の生活に戻っていたので、ここにきてこんなことになるとは・・・・・・。

それでも、ドクターの見立てによれば、入浴直後に苦しまずに逝ったであろうとのこと。それが幸いで、死に顔はとても穏やかなものでした。92歳でしたから大往生です。それに加えて僕自身、昨秋の父の入院以来、どこかで覚悟をしていたせいもあり、落ち着きを崩すこともなく、12月7日に身内のみで葬儀を無事済ませました。快晴の下、彼方に富士山も見えたので、山登りが大好きだった父はきっと富士を見下ろしながら天上に昇ったことでしょう。

父は生涯を通じて自分の流儀を貫いた人でした。それは、終戦間近に召集され、約半年間の軍隊生活を強いられた反動なのかもしれません。知人からはそれを賞賛されることがほとんどのようですが、身内である僕からすると、随分自分勝手に見えることもありました。しかし、僕も創作活動という面では、教員をしながら生涯物書きを続けた彼の血を少なからず受け継いだのでしょう。死の直前まで原稿用紙を広げ続けたことには感嘆せざるを得ません。本当にお疲れ様でした、と見送ってあげたいです。

生前、父はいくつかの文筆作品を世に出していますが、現在流通しているのは朗読・短篇小説集―忘れ難し戦中派」という自費出版による単行本のみです。すでに新品での入手は難しそうですが、機会があれば手に取っていただければ幸いです。実家にはこの本発表後に残された原稿がありますので、いつかまとめて出版に漕ぎ着けたいと思っています。

そして、父をずっと支え続けた母に感謝したいと思います。独り暮らしになる母のために、これまで以上に実家に顔を出していかなければなりません。先程まで、実家の公共料金の名義変更のために、あちこちに電話をかけていました。これから、まだまだいろいろな手続きをしていかなければならないところです。母が父の死を最初に発見した時のショックはどれほどのものだったか、想像がつきません。今はゆっくり休んでほしいです。

そして、ここまで的確なサポートをしてくれた嫁さんに感謝します。彼女がいなければ、僕は葬儀の準備の途中で潰れてしまっていたことでしょう。これからもいろいろと指南を仰ぐことになります。引き続きよろしくお願いします、と伝えたいです。

もう一つ、父の死がきっかけとなり、思いがけず新しい出会いがありました。ここでは詳しく書けませんが、とても嬉しく思っています。父に感謝したいと思います。

前作から3年ぶりに発表されたU2のニューアルバム、"SONGS OF EXPERIENCE"。12月1日の夜に届いてからというもの、葬儀の準備の間、自宅と実家を車で何度も往復しながら、そして、仕事の移動の間も、少し落ち着いた時にはベースを合わせて弾きながら、そして、今これを打っている間も、ずっと聴いています。というか、2週間以上、これしか聴いていません。今作のテーマはLove、Home、You and l、つまり家族ということのようです。偶然とはいえ僕の個人的な事情、心情にここまで沿ってくれる作品になったとは!いや、それを差し引いても今作は傑作です。1曲1曲素晴らしいですが、通してアルバムとして聴くことでより意味をなす作品です。"ACHTUNG BABY"に並ぶ傑作が遂に生まれたのです。ロックミュージックは間違いなく新しい地平を切り開いたのです。父の死後、"The Little Things That Give You Away"を聴いて号泣しました。U2にも感謝したいと思います。

Lights of Home.

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Experience

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2016.10.16

最近の話

またしばらく更新していなかったこのブログです。ここには基本的に長文を載せるつもりなので、しばらく書きたいことがなかったということになりますね。さて。

実家の親父が先月倒れまして。2階のベランダで転倒して頭を打ったのでした。幸い頭には異常はなかったのですが、ここ数年調子の悪かった足腰がいよいよ限界にきているということのようです。転倒した後の数日間、家の中で起き上がれなくなり、その都度僕が実家に急行して起こしたりしていたのですが、ついに入院となりました。すでに1カ月以上が経過しています。

もう91歳という年齢なので当然と言えば当然なのですが、親父はこれまで普通の人以上に健康なのを自慢していたようなところがありましたので、自分が入院していることに納得がいかないのでしょう。それなりに荒れたりしていて、毎日病室に通っているオフクロには精神的な負担がかかっています。僕も退院した後の生活を鑑みて介護支援の手配を進めながら(この辺りのことには前職が介護施設の栄養士だった嫁さんが詳しく、随分と助けてもらっています)出来るだけ実家と病院に顔を出していますが、親父の状態を受け入れる他はないと分かっていながらも、初めての経験に戸惑うことも多く、落ち込むこともしばしばです。これからまだまだどうなることやら。その都度少し先を見ながら対処していくことになるのでしょう。

そんなここしばらくを反映してか、聴く音楽は懐の深いアメリカン・ミュージックが中心となっています。僕は「癒し」という言葉が大嫌いなのですが、音楽に本当に癒しを求めている自分に気付いて苦笑してしまうことしばしばです。特によく聴き返すのはこの4枚。

Music_from_big_pink Northern_lightssouthern_cross

Sailin_shoes Dixie_chicken

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THE BANDの"MUSIC FROM BIG PINK"と"NORTHERN LIGHTS-SOUTHERN CROSS"、そしてLITTLE FEATの"SAILIN' SHOES"と"DIXIE CHICKEN"。全てMOBILE FIDELITY社のハイブリッドSACDやゴールドCDで聴いています。ザ・バンドのオフィシャルリマスターCDは全てボーナストラック入りなので却下、リトル・フィートには日本国内で作業されたリマスターしかなく、カリカリした音質でこれまた却下。結果としてレア度の高いモービル社のアイテムを選ぶことになったのですが、これが大正解。いずれもふくよかな音質に満足しています。

それにしても、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞には驚喜しました。TVなどで彼の受賞に対しての賛否両論をみかけますが、否定するコメントを耳にするたび、日本ではいかにディランの詩が理解されていないのかを感じてしまい、呆れかえってしまいます。僕がディランの詩の凄味を初めて感じたのは、「雨のバケツ」(アルバム『血の轍』収録)を聴いた時でした。人生の本質を突くような、たった数行。

人生は悲しいよ
人生は騒ぎだよ
出来ることは、しなきゃならないことなのさ
しなきゃならないことをするから、上手くいくんだよ
君のためにするよ、ほら、わかるかい?
(片桐ユズル氏による和訳)

もちろんこの曲だけではありません。彼の功績を鑑みれば、今回の受賞は当然だと言えます。もっともディラン自身はこのことにさほど興味がないのか、ツアー中で賞の事務局からの電話は本人に繋がらず、受賞直後のコンサートのMCでも全く触れられなかったとのことです。ディランらしい!本当にカッコイイと思います。

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2016.01.23

追悼 GLENN FREY

Desperado Hotel_california

デヴィッド・ボウイの訃報からもまだ立ち直っていないというのに、今年は何て年なんだ!イーグルスの創始者であり実質的なリーダー、グレン・フライが死んでしまった。正直なところ、グレン・フライとドン・ヘンリーだったら「ドン派」の僕は、昨年前半までイーグルスのワールドツアーのニュースを見聞きして、「ああ、まだまだ頑張っているんだな」と思い、秋にはドン・ヘンリーのソロ新作を買ったところだったのだが、それでも慣れ親しんだミュージシャンの早過ぎる死は、とても辛い。

イーグルスを一番よく聴いたのは大学時代だった。僕にアメリカン・ルーツ・ミュージックの扉を開いてくれたのが彼らだったのだ。イーグルスからオールマンやレ―ナ―ドなどのサザン・ロックに入って、CCRを聴いて、やがてブルーズ、カントリー・ミュージックへ。'94年の再結成には吃驚したが(彼らほど再結成に相応しくないバンドはないと思っていた。"Hotel California"でやれることをやり尽くしたと思っていたし、その後を継ぐのはドン・ヘンリーのソロ作で充分だったから)、'95年の東京ドーム公演は「一度は生で体験しなければ」と観に行ったものだ。'90年正月の東京ドームイベントでドンのソロ公演を観た時の方が感動したけれど。

さらに2012年5月、仕事で札幌に住むようになった僕は、ふとしたことから地元のイーグルスのコピーバンド、"G-gles(ジ―グルス)"でドラムを叩くようになり、そこからいろいろと交流を広げていくことが出来、その頃からまた頻繁に彼らの曲を聴くようになった。こんな風に、彼らは僕の青春、そして「第2の青春」のサウンドトラックなのである。イーグルスの音楽はメロディアスでロック入門編としても最適だが、もちろんそれだけでは終わらない、深い魅力を持ち合わせていた。そうでなければ、今でも聴き返すことはないはずだから。

デビュー以来、グレン、ドン以外のメンバーは時期によって替わってきた彼らだが、グレン亡き後、もうバンドを続けて行くことはないのだろう。それでもその音楽は生き続ける。もうそれで良いのだと思う。ちなみに彼がヴォーカルを取った曲で一番好きなのは"New Kid In Town"。再結成後リリースされた唯一のアルバム、"Long Road Out Of Eden"は大作ではあったけれど、僕にとっては駄作以外の何物でもありませんでした。悪しからず・・・。

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2016.01.16

追悼 DAVID BOWIE

DAVID BOWIEが死んだ。昨年末から楽しみにしていたニューアルバム"★(Blackstar)"がリリースされた途端の訃報。前作リリース後、癌を患っていたのだそうだ。でも、そのことを表に出すことなく、突然の幕切れ・・・これも彼の演出だったのだろうか。新作は彼の置き土産として地球に残されたのだろうか。想像は尽きない。

僕は残念ながら彼のステージを生で体験することは出来なかったが、その音楽からは自分なりに影響を受けてきたつもり。以下は全くもって手前味噌だが、すでに閉鎖した僕のホームページ"EAT A LOTUS"に載せていた文章である。僕と彼の音楽の繋がりの軌跡の一つとして、ここに残しておきたい。ボウイは今頃、彼方の地でミック・ロンソン、トレバー・ボルダー、ドラムには(彼も大ファンだったTHE WHOの)キース・ムーンを迎えてバンドを結成していることだろう。バンド名は"Now, we're on Mars"だ。

The_rise_and_fall_of_ziggy_stardust

「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and The Spiders from Marsについて」

1994年の年末のこと。群馬・前橋に引っ越して程なくすると、地元でライヴ活動をしているバンドのリーダーから「サイドギターで入らないか」というお誘いが来た。僕は自分のバンドを組むべくメンバーを募っていたところだったが、活動開始のメドなど全く立っていなかったので、二つ返事で引き受けた。音楽の趣味が合ったことと、オリジナルを演っていることが決め手だった。

今思えば、典型的なブリティッシュ・ニューウェイヴかぶれのバンドだったが、メンバーは皆とても練習熱心で、僕も負けじといろんなアイデアを出したりした。このバンドで、初めて東京のライヴハウスでのステージも経験したのだった。しかし、そのライヴが終わった次の練習の時、リーダーから突如解散の意向がメンバーに伝えられた。僕が加入してから僅か一ヶ月とちょっと。どうやらリーダーはこのバンドでの活動に新鮮味を感じなくなっていたようで、出来れば最後に加入した僕と、新しい活動を始めたがっていたようなのだった。

そこで、僕には3つの選択肢が提示された。
①「また一から自分のバンドを作る」
②「そのリーダーについていく」
③「そのバンドのヴォーカリストと新バンドを結成する」
僕が選んだのは③だった。

そのバンドのヴォーカリスト、T君。たしか僕より3つ年下だったと思う。前述の東京でのステージで、彼との間に共有できるグルーヴを強く感じていた僕は、ほとんど迷うことなく、彼との活動を選んだのだった。その佇まいから才気を感じられる、滅多にない逸材だと思えた。彼が歌うなら、自分はギターオンリーで良いと思えたのだ。そうと決まると、T君と僕は競い合うように曲を書き、また、別のところで活動していたリズム隊がいいタイミングで合流し、僅か3ヶ月で初ライヴに漕ぎ着けたのだった。バンド名は僕が付けた。"LOTUS"。そう、これがバンドLOTUSのスタートだったのだ。

そんなT君が傾倒していたのがデヴィッド・ボウイ。その頃の彼は髪もグラム時代のボウイよろしく真っ赤に染めていたっけ。レスポール・カスタムを構えた僕は、さしずめこの「ジギー・スターダスト」の頃のミック・ロンソンの気分だった。実際ステージでは"Suffragette City"の高速カヴァー・ヴァージョンなども演っていた。

こうして実は4人組としてスタートしたバンドLOTUSだったが、2度のライヴを行なった後、早くもピンチに直面した。T君が僕の自宅の留守電に伝言を入れたまま、失踪してしまったのだ。すでに次のライヴのブッキングも入っていた残る3人は、彼を待ちつつも、差しあたって僕がヴォーカルを兼任することにしてリハを再開、なんとかライヴを乗り切ったところで、帰ってきたT君と会うことになった。

彼に言わせると、ライヴを2度やったところで急に自分の音楽に自信が持てなくなり、どうしたら良いかわからなくなったのだという。僕達はそれでも彼の復帰を望んでいたが、結局それは叶わなかった。彼はそのまま海外に飛び出してしまった。NYに行ったとか、その後インドに行ったとか人づてに聞いた。最初は突然の彼の行動に腹を立てた僕達だったが、それはそれで彼の音楽に対する誠実さの表れだと思うようになった。そして、急場しのぎでやったトリオでのライヴがまずまずの出来だったことも手伝って、そのままの形でバンドを続けることにしたのだった。こうして僕はまた歌の世界に戻ってきた。その後約4年半、ベース、ドラムスの交代を何度も経つつ、バンドLOTUSは活動した。

今聴き返しても、いろんな意味で最強のロックアルバムであろう、この「ジギー・スターダスト」。僕は、この作品の最大の功績はロック・ミュージックが陥りがちな「マッチョイズム」の手を一切借りることなく、ロックを表現しきったことにあると思っている。そしてそれは、あのT君の姿を通して僕が学ばせてもらったことでもあるのだ。奴は今どこで、何をしているんだろう。それでも、いつかまた共演できるんじゃないか。そんな気がしている。(2003年7月31日記)

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2015.09.19

追悼 GARY RICHRATH

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GARY RICHRATHが死んだ。まだ65歳だった。

REOスピードワゴンの実質的な初代ギタリスト。真のオリジナリティ、類い稀なるギターワークを持ったレスポールの魔術師。

レスポールは基本的にマーシャルに直結、時折ワウペダルを挟むだけであれほど多彩なトーンを弾き出した人を僕は他に知りません。

そしてもちろん、Like You Do、Golden Country、Ridin' The Storm Out、Only The Strong Survive、In Your Letter、Take It On The Runといった名曲を残したコンポーザーでもありました。

高校入学直後、スピードワゴンの音楽、あなたのギターに出会ってから、僕の人生は変わったのです。初めて出会ったロックギタリストがあなたで本当に良かった。

'89年にあなたがバンドを脱退した時は本当にショックで。翌年に出た新生スピードワゴンのアルバムも、'92年にあなたが出したアルバムも、残念ながら酷い出来でしたね。スピードワゴンは時間をかけて'07年の"FIND YOUR OWN WAY HOME"という傑作を生み出したけれど、あなたの新作を聴くことは出来なかった、そしてそれはもう叶わないのが本当に残念です。

そもそもゲイリー・「リッチラス」なのか、ゲイリー・「リチラース」なのか。僕はずっと「リチラース」と読んでいた。'80年代のスピードワゴンの国内盤LP、ライナーではそう書かれていたから。死去を伝える音楽ニュースのサイトでは「リッチラス」と書かれているが、どうもピンと来ない。だから、これからも「リチラース」と呼んでしまうのだろうな。

本当にありがとう、ゲイリー。どうぞ安らかに。

"GOLDEN COUNTRY"
Words & Music Gary Richrath

Golden country your face is so red
With all of your money your poor can be fed
You strut around and you flirt with disaster
Never really carin' just what comes after
Well your blacks are dyin' but your back is still turned
And your freaks are cryin' but your back is still turned
You better stop your hidin or your country will burn
The time has come for you my friend
To all this ugliness we must put an end
Before we leave we must make a stand

Mortgage people you crawl to your homes
Your security lies in your bed of white foam
You act concerned but then why turn away
When a lady was raped on your doorstep today
Well your blacks are cryin' but your back is still turned
And your freaks are dyin' but your back is still turned
You better stop your hidin or your country will burn
The time has come for you my friend
To all this ugliness we must put an end
Before we leave we must make a stand, oh yeah...... 

Golden country your face is so red
With all of your money your poor can be fed
You strut around and you flirt with disaster
Never really carin' just what comes after
Well your blacks are dyin' but your back is still turned
And your freaks are cryin' but your back is still turned
You better stop your hidin or your country will burn
The time has come for you my friend
To all this ugliness we must put an end
Before we leave we must make a stand

安保法案が参議院で可決「されてしまった」日に。

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2015.01.12

GLASS 「涙の洪水」 (後篇)

GLASSの解散から20年。その間、彼らに関わるいくつかのことが僕の身に起きました。きっかけは僕がアコースティックソロに転向してから開設したHP、"EAT A LOTUS"に載せた記事(前篇に書いた内容)です。サイトをご覧になった方々からメールで「彼らは今どうしているのか」「CDを手に入れたいのだが」「メンバーと知り合いで連絡が取りたいのだが」などの質問をいただくようになりました。いやいや、僕は一介の大ファンというだけで、メンバーと面識がある訳ではないので・・・(笑)。もちろん、当時自分が知る限りの範囲でお答えしました。

そうこうしているうちに、数年前の僕の誕生日にメールが届きました。差出人は"Juko Takahashi"。ビックリしました!"JUKO"さんとはGLASSのベーシスト、コンポーザー、バンマスであった高橋重幸氏だからです。「誕生日おめでとう。熱いメッセージありがとう!」という文面とともに、氏のソロ音源が1曲、音声ファイルとして添付されていました。きっと僕に問い合わせをされた方のどなたかが、JUKOさんに連絡をしてくださったのでしょう。HPのプロフィールには誕生日も載せてありましたし。音楽活動を地道に続けてきて、これほどまでに嬉しかったことはありませんでした。

しばらく後、こんな粋な計らいをしてくださったJUKOさんが代官山にロックバー、"BAR CRIMJON"を開店されると氏のブログで知りました。そして間もなく「店内アコースティックライヴに出ないか」とのお誘いも!とても嬉しい反面、正直なところ凄く緊張もしました。何といっても氏は僕の音楽の恩人です。しかも、いまだ直接お会いしたことがないという・・・。しかし、それと前後して僕の北海道転勤が決まってしまい、ライヴはおろか、お店に伺う機会も日延べとなってしまいました。

それから2年後、僕は首都圏転勤でさいたま市に住むことになり、仕事やら私事やらでとても忙しい数カ月を過ごしました。そして年明けの先日やっと!"BAR CRIMJON"の扉を開けることが出来たのです。

「おっ、ロータス!」。XTCの"SKYLARKING"が流れる中、初めてお会いするJUKOさんはとても初めてお会いする感じがせず(Facebookで繋がりも出来ていたのですが、それにしても!でした)、何というか大学の音楽サークルの先輩という感じで、終電までの数時間は当たり前のように音楽談義に花が咲きまくって、僕は赤ワインを飲みまくって、5月ごろを目途に店内でアコースティックライヴをさせていただくことを約束して帰路に着きました。

そう、今年は僕がGLASSの曲名からLOTUSの名をいただいて音楽活動を始めて、ちょうど20年になるのです。僕にとってとても大事なこの年に、こんなに素晴らしい出会い(ある意味再会?)があるなんて、人生とはなんて不思議なものなのでしょう!さあ、ライヴに向けてゆっくりとではありますが、準備をしていくとしましょう。

長文に渡る僕のルーツにお付き合いいただき、ありがとうございました。代官山BAR CRIMJON、是非みなさんも行ってみてください。極上の音楽(ホントに素晴らしい音で聴けますよ!)と美味しいお酒と素晴らしいマスターがあなたをお待ちしています。もちろん、僕もこれからは気軽に顔を出していきます(笑)。

BAR CRIMJON
https://www.facebook.com/BarCrimjon/info?tab=overview

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GLASS 「涙の洪水」 (前篇)

Slow_water Photo Struggle

(この記事はとても長文になるので、前後篇に分けてアップします。前篇はすでに閉鎖した僕のHP、"EAT A LOTUS"に掲載した記事を編集したものです)

学生時代、もっぱら洋楽にのめり込んでいた(今もですが)僕は、ライヴの呼び屋をやっていた友人に、GLASS(グラス)という日本のインディーズバンドを紹介されました。今度学祭に呼ぶんだと言われて。'90年か'91年のことだったと思います。日本のロックバンドなんてねぇ・・・と半信半疑でデモテープを受け取ったのですが、その中にかのDOORSの"Roadhouse  Blues"のカヴァーが入っていたので、ちゃんと聴いてみることにしました。そうしたらこのカヴァーも良いのですが、肝心のオリジナル曲の素晴しいこと。しかも日本語詞だ!かねてから日本語とロックの曲調のマッチングに疑問を抱いていた僕は、GLASSを聴いて初めてその可能性を信じることが出来たのです。以来、就職してからも彼らのライヴには頑張って通いました。

彼らの事実上のラスト・ライヴは'94年12月25日(日)、下北沢QUEでした。このステージでメンバーから当面の活動停止が告げられたのです。・・・しかしそれ以来、彼らが活動を再開することはありませんでした。この頃は、ちょうど僕が自分のオリジナル曲を演奏するバンドを組むべく動き出した時期でもありました。そして翌'95年2月、バンドがスタートした時、僕は彼らの曲のタイトルから、バンド名を"LOTUS(ロータス)"と付けたのです。

それから約5年間、何人ものメンバーが交代し、バンドLOTUSは初のマキシシングルを発表すると同時に解散しました。随分悩んだものですが、結局僕はソロとしてやっていく決意をしました。しかも1人で"LOTUS"の名を掲げることにして。「あ、俺がLOTUSだったんだ!」と。

・・・というわけで、このGLASSこそ、僕が日本語でオリジナル曲を書くきっかけを作ってくれたバンドなのです。DAVID BOWIEの曲名から付けたのか、JOY DIVISIONの曲名からとったのか。今となっては知る由もありませんが、何ともセンスの良いバンド名だと思います。

簡単に彼らのプロフィールをご紹介します。1979年、法政大学内で結成。ヴォーカルの岡崎勝氏とベースでソングライティングも担当する高橋重幸氏を中心に活動開始。まもなくギターの片岡工(つかさ)氏が加入し、やがてインディーズ界の異端児と言われる存在に。ドラムはなかなか一定しませんでしたが、'90年頃からチャーリー(芸名。日本人です)氏が加入し、この最強の4人で'94年年末の解散まで、メジャーデビューすることなく活動を続けました(彼らのことをネットで検索すると、大抵ここまでの内容が引っ掛かりますが、元々は僕がHPにアップした文章です。あちこちでコピペされているんですね)。発表されたアルバムは、"SLOW  WATER"(写真では顔のジャケ。'90年、ドラムは川口雷ニ氏)、「涙の洪水」(花のジャケ。'92年)、"STRUGGLE"(牛のジャケ。'93年)の3枚。

彼らのサウンドは、生粋のブリティッシュロックにかなり近いと言えるでしょう。ZEPPELINやFREEのへヴィさ、ハードさを基調に、SMITHSの繊細さを併せ持ち、DOORSに通ずる浮遊感も兼ね備えていました。ライヴではメンバーのテクニックもさることながら、岡崎氏のジム・モリスンを彷彿とさせるステージングを中心に、まさに「荒ぶる」パフォーマンスを体験させてくれました。そう、その凄まじさ、まさに「体験する」という表現がピッタリでした。一触即発の緊張感の連続!メンバー全員が日本人であるがゆえか、サムライ的な「寄らば斬るぞ」に近いテンションすら感じたものです。それは、例えば所謂「コア系」とか呼ばれている凡庸なバンド達のステージとは、本質的に違うものでした。異端児と呼ばれたのも、十分に頷けます。DOORSに傾倒していた僕が、「日本にこんなバンドがいたなんて!」と感嘆したのも、当然のことだったのです。

そしてもう一つ、高橋氏の書く詞世界。洋楽寄りのメロディにどうやって日本語詞を安っぽい言葉でなく乗せるのか。これを僕は学ばせてもらいました。少ない言葉で本質を突き、行間で聴く者に想像させるのです。しかも、変に哲学的にならず、「泣き」も用意していたりする。これほどの作詞家に出会ったことは、今だかつてありません。今でも高橋氏の詞世界は、僕の目標とするところなのです。

彼らのアルバム3作はもちろんどれも素晴らしいのですが、僕の思い入れの最も強いのが「涙の洪水」です。この作品はライヴでの轟音のイメージよりも、よりカラフルな音作りを目指して制作されたようです。曲によってゲスト、ホッピー神山氏のキーボードや、スティーブ衛藤氏のパーカッションが華を添えています。また、アルバム中最もへヴィな「グルグル」の歌詞は、僕が愛読する作家、梅崎春生氏の「幻化」の1シーンとピッタリ重なり、驚愕したものです。ホントに何度聴いたか知れませんし、もちろん今でも時々引っぱり出しては聴いています。もう20年以上前のリリースになるのですね・・・。GLASSの3作品は、現在全て廃盤。でも、ヤフオクなどで時折出品されているのを見かけます。興味のある方は是非探してください。絶対にあなたにとって大切なアルバムとなることでしょう。

(まずはここまでが前篇です)

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2014.12.28

今年もありがとさん

相変わらず更新の少ないままのこのブログです(すみません)。TwitterおよびFacebookはそれなりに更新しているのですが、って毎度の通りですね。それはともかく。

今年もいろいろな方々にお世話になりました。ありがとうございました。札幌で正月とともに嫁との同居をスタートさせたものの春にはさいたま市へ引っ越し、僕は首都圏での仕事が始まり、嫁は初めての都会生活に慣れながらこちらでの仕事を始め・・・と盛りだくさん過ぎる一年でした。

そのついでにご報告があります。さいたま市に家を購入しました。先日申し込みを済ませたところで、細かい段取りは年明けからとなります。念願の新居は1月に完成、3月に引っ越しをする予定です。転勤が付き纏う僕の仕事ではありますが、やはりちゃんとした本拠地を持ちたいという思いと、嫁の希望が叶う家が見つかったこと、僕の年齢を考え合わせて「今しかない」と結論付けたからです。これについては、また追ってお伝えしていきたいと思います。

さて、ライヴの方は数えるほどしか出来なかった今年ですが、今はそれで良いと思っています。来年も数は少なくて結構、一回一回にじっくりと取り組めるようなものに出来ればと考えています。ずっと棚上げのままのセカンドアルバムもしばらくお預けです。マテリアルは揃っていますが、手を加えたい曲が残ったままなので・・・いつになることやらですが。特に急ぐつもりはありません。

Hypnotic_eye Songs_of_innocence

一方、リスナーとしては僕の2大ヒーロー、TOM PETTY AND THE HEARTBREAKERSがHYPNOTIC EYE、U2がSONGS OF INNOCENCE、といずれも素晴らしい新作を届けてくれたので、大満足でした。トム・ペティについては8月に書いた通りです。U2についてはずっとブログに書きたくて何度かトライしたのですが上手くまとめることが出来ないまま年末を迎えてしまいました。それだけいろいろと考えさせられる作品だったわけですが(トム・ペティはストレートに絶賛出来る内容でした。一方、U2は曲、詞、サウンドともにこれまでとはまるで違っており、自分なりの解釈に時間がかかってしまいました)、今ではTHE JOSHUA TREE、ACHTUNG BABY、ALL THAT YOU CAN'T LEAVE BEHINDと並ぶ傑作だと認識しています。

来年も音楽以外ではいろいろと忙しくなりそうです。音楽ではここしばらく通りゆっくりと動いていくことになるでしょう。みなさん、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎えください。末筆ながら、年末のご挨拶とさせていただきます。

GOD BLESS YOU.

LOTUS=仲野純

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