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2007.08.05

田中正造先生への旅(3)

(このシリーズ、前回、前々回含めてタイトルを変えました)

正造先生への旅、3回目。今日は渡良瀬遊水池へ。栃木・群馬・茨城・埼玉の4県がぶつかり合う辺りに位置するこの遊水池は、渡良瀬川の度重なる洪水によって鉱毒被害が広がるのを(原因元の足尾銅山に手を下すことなく)防ぐために造られたものだ。そして、この遊水池を造るにあたり、一つの村が潰されることになった。谷中村である。明治35年から進められた計画だそうだ。正造先生は、有名な明治天皇への直訴事件の後谷中村に入り、最後まで住民と共に、遊水池計画と闘い続けた。そして、結果として廃村後も、残留民と村の復活を唱えたのだった。

Yusuichi0011 Yusuichi0021 Yusuichi0031 Yusuichi0041 遊水池。とにかくデカイ。別名、谷中湖と呼ばれるのも納得。ほとりまでは車で入れる。その先は徒歩。遊水池には真ん中の「中の島」を挟んで大きな橋が架かっている。中の島から北へ行くと、谷中村の遺跡に辿りつく。

Yanakamura0011 Yanakamura0021 Yanakamura0031 Yanakamura0041 遺跡といっても、看板が立っているだけの、ちと寂しいものだが。しかし、地図にあるように(小さくて分かり辛いが)、当時の住民の一軒一軒の名前がちゃんと記されている。人間は統計上の「数字」ではない。「一人一人」なのだ。そして、今も昔も「萱(かや)」が生い茂っている。

またしばらく行くと、雷電神社と延命院の跡に辿りつく。雷電神社には当時、住民や正造先生が会合を持つべく、頻繁に集まったのだという。

Raidenjinja0011 Raidenjinja0021 神社へ向かう道。今日は酷暑。滝のように汗をかきながら歩く。正造先生が倒れた夏も、こんな暑さだったのだろうか。いや、今の方が温暖化現象で・・・?。神社跡には小さな鐘があって、自由に撞けるようになっていた。鳴らす時にケイタイでムービーを撮ったのだが、帰宅後PCに転送したら再生出来なくなってしまった。残念。往復で4km強か。軽い熱射病と左踵に靴擦れ。情けない。

Ireihi0011 Ireihi0021 Shozo_zo0011 遊水池の近くには慰霊碑が。少し上流には渡良瀬の流れを見つめるように、正造先生の銅像が立っている。今日はここまで。正造先生への旅は、まだまだ続く。

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コメント

恐れ入りました!

出直してきます。

投稿: 足利みちろう | 2007.08.07 00:32

足利みちろうさん

いえいえ。自分は埼玉県南の出身なのですが、子供の頃たまたま社会科の自由研究で調べることになってこの事件を知りました。で、20数年経ってたまたまその土地の近くに住むようになり、仕事やプライベートでは目の前を通るようになりました。何か勝手に運命的なものを感じたりしているんです。

自分でも今何でこんなに盛り上がっているのか、よく分かりません(笑)。鉱毒事件を追究するというよりは、田中正造という人の生き様に惹かれているのかもしれませんね。

同じように、しばらく前は「秩父事件」の舞台となった土地によく通っていました。

投稿: LOTUS | 2007.08.07 01:51

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