« 田中正造先生への旅 | トップページ | 真夜中雑記(29) »

2007.06.24

田中正造先生への旅(2)

先週に引き続き、田中正造先生を巡る旅の第2弾。今日はまず、太田市毛里田地区にある「祈念鉱毒根絶碑」へ。「祈」念なのがミソだ。実は先週の帰りに寄るつもりが、場所が見当たらず、今日の再挑戦となったのだった。国道50号から足利へ入る辺りだとは察しがついていたのだが、細い脇道をグルグルしているうちに、ようやく発見。

Kinenhi0011 Kinenhi0031 Kinenhi0021 毛里田地区は鉱毒の被害が最も酷かった地区の一つ。実際、今でも汚染された田畑の土地改良が行われているのだという。今でも!

その後、足利の市内、蕎麦の名店「立花」さんで昼食、街外れから県道8号を館林方面に走ると、再び50号に合流する手前で「寿徳寺」が現れる。ここも正造先生の分骨地の一つ。しかも近年になって発見されたという。ところが駐車場がなく、近場にパーキングできるスペースもなく、止むを得ず次回へ。

そのまま50号に入って佐野市内へ。県道を北上して、今度は先生の生家(田中正造旧宅)へ。写真は生家の向かいにある墓石。当然ながらここにも分骨されているのだ。

Shozo_seika0011 Shozo_seika0021 Shozo_seika0031しかし、この邸宅、保存修理工事と県道拡張工事がぶつかり、場所を移動しての現在、になってしまったのだそう。宅内には、あがって見学することができた。

最後は市街地へ戻り、「佐野市郷土博物館」へ。ここには先生の遺品がある。「鉱毒問題の解決に全財産を投げ打ち、死んだ時は無一文だったという。死亡時の全財産は信玄袋一つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけだった」という記述を初めて教科書で読んだ時は子供心にも衝撃が走ったが、その実物とついに対面することができた。

例えばジョンのミュージアムで、「あの」エピフォン・カジノを見た時もそうだったが、それは「単なる物」ではなかった。陳腐な言い方しか思いつかないが、魂が宿っていた。それを証明するかのように、3個の小石のうち最も美しい青色の小石が、いつまでも鈍い光を放っていた。

今日はここまで。まだ回らなければならない場所は残っている。しばらく正造先生への旅は続く。

|

« 田中正造先生への旅 | トップページ | 真夜中雑記(29) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 田中正造先生への旅(2):

« 田中正造先生への旅 | トップページ | 真夜中雑記(29) »